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激動の時代を駆け抜けた山本覚馬・新島襄・八重の志ある生涯を京ことばで語る

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東北被災地支援公演報告

  

 
  2015年7月11日〜14日
  宮城石巻・東松島  福島いわき市

 
 「東北被災地支援公演2015」を報告できますことを感謝いたします。
昨年四月「志ありて」東北支援公演と題して福島県内4ヶ所を巡回させていただいたことは記憶に新しいことと思います。
 その後、昨年秋に大阪府立門真なみはや高等学校で震災学習として「志ありて」公演いたしました。
その際、校長はじめ先生方PTA皆様のご理解とご厚意により多額の募金をいただきました。
 さらに心ある方々の募金とお祈りにより、今回の東北公演が実現したと言っても過言ではありません。
 今回は、東日本大震災による死者・行方不明者(おもに津波による水死)9割を占める宮城県は石巻と東松島、今なお原発の放射線量で苦渋重なる福島県いわき市と計5ヶ所公演させていただきました。
 宮城県は死者・行方不明者の数が阪神淡路大震災の数より上回ります。
 まず7月11日(土)に仙台入りし、石巻住民の「追波川仮設住宅」へ参りました。
こちらは「東北中央教会(イエスキリスト福音の群)」が震災直後から支援され、私共の急な公演に対応して神学生が各戸を訪問案内してくださっていました。
10人弱の方が入れ替わり立ち代り足を運んで「志ありて」を聞いてくださり、淡路島の住人として20年前の阪神淡路大震災にもふれ、被害差がありつつも同じ被災者として痛みを分かち合いました。
 くったくのない笑顔の中に時折垣間見る厳しく悲しげな瞳に、東北人ならではの忍耐強さと復興途上のいらだたしさを覚えました。
12日(日)は、仙台のアッセンブリー泉福音チャペルが設立された「東松島アメイジング・グレイス支援センター」へ特別礼拝と称して公演、朗読中には相槌や笑い声があふれ大変盛り上がりました。
その後畳み掛けるように恵子先生(京ことばでむすぶ「志」プロジェクト代表)のメッセージが続き、終始熱気に溢れ会場が一体となりました。
興奮冷めやらず皆さんが「志を実行するチャレンジを与えられた」と口々に語られ、昨年公演した喜多方教会の方も出席されて嬉しい再会もあり、素晴らしい礼拝となりました。
先日「参加していた民生委員の方が大きな感動と励ましを受け、その後も喜んでおられる姿にスタッフ一同が感動しています」と知らせが届きました。
復興にむけ励んでおられる地域の方、サポートしておられるスタッフに「志ありて」が少しでもお役に立て嬉しい限りです。
12日夕方、東松島から福島のいわき市に移動する際、東北道は2時間半もかかることから、この春に開通した常磐道を利用しました。
常磐道一部は原発から半径20kmの放射線量の高い区域内が含まれることから「走行中に窓を決して開けてはならない。クーラーを消し外気が入らないように」と東松島の先生方に厳重注意を受け、エリック宣教師の力強いお祈りで送り出されました。
 常磐道の走行中、何度も放射線量値が大きく表示され、警戒区域の南相馬から浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町そしていわき市に入るルートの風景は異様でした。
常磐道から見えるたくさんの家々には灯りが無く、薄暗さのなかに街灯の灯だけが点在していました。
静まり返った切ない眺めに、故郷を仕事を愛する人を奪われた多くの人々の哀しみの顔と重なり、ハンドルを握る私の頬には涙が流れ、息苦しさと胸の痛みでその夜は頭痛と発熱のなか休みました。
 13日(月)は2ヶ所、午前に白水のぞみ保育園(日本キリスト教団常磐教会附属)園児と保護者、教会員そして地域の方々への公演です。
 当初園児対象と聞き、果して「志ありて」幕末の覚馬と八重の話を静かに聞けるのだろうかと疑問がありましたが、最初から最後まで姿勢を崩さず「おりこうさん」でした。
 牧師である園長先生と保育主任の方が「大人が真剣に話せば、子どもも真剣に聞きます」と言われたとおりで先生方の日頃の指導の賜物であると感動しました。
 そして、照明に音響と舞台設定も抜かりなく、「志ありて」朗読までの導入を視覚教材で工夫し、園児に興味を持たせる方法にも感心しました。
 ちなみに明石牧師は福島の会津出身で同志社大学から牧師へ、奥様は京都の方で、震災後常磐教会に赴任、昨年には新会堂を同志社カラーであるレンガ調で献堂されています。
奇しくも「志ありて」に関連ある方ではないでしょうか。
今回、手話語り担当の渡辺久美(私の妹)も手話依頼は無いものの急きょ同行することになり、保育園では聾者が来られまた各会場に手話を学ばれる方もいて喜んでいただきお役に立てました。
そして、東北の広範囲を移動する自動車運転は二人必要で大変助かりました。
 神様は全てのことをご存じで必要を備えられるお方です。
 13日の午後は、楢葉町住民の「上荒川仮設住宅」へ。こちらは津村昭二郎先生ゆかりある森彰牧師のグローバルミッションチャペルが支援されています。
(詳細は恵子先生、津村先生にお聞きください)
 公演後には京ことば朗読のアンコール依頼があるほど喜んでいただき、その後ゆっくりと住民の意見を聞かせていただく時を持ちました。
「楢葉町は9月末帰還解除になり、それに伴う山積問題の解決がなされていない現状」「かつては恩恵を受けた東電に対して不安や不満の問題を提起する立場にある自冶会長さん」「現状を考えると気がおかしくなると折り紙作品を折り続けている自称オリヒメさん」「避難所から仮設と転々とし、四畳半の薄い壁一枚の部屋では産後の娘を介護することもできず、同居していた息子家族は関東へ、年寄りふたり汚染された土地、自分の広い家へ帰ることを決めた収穫の喜びを奪われた農家のおばあさん」
涙なしでは聞けない内容に神様の恵みと平安があるようにと祈りながら耳を傾け「皆さんの声を東北の現状を関西の地で伝え、HPからも発信します」と約束いたしました。
 14日(火)は「翼の教会」東北公演最終日です。
この教会は言わずと知れた「福島第一聖書バプテスト教会 泉のチャペル」です。
戦後間もない昭和22年にアメリカ人宣教師が大熊町で布教され、東日本大震災まで大熊町に2つ、富岡町、南相馬と計4つのチャペルで活動されていました。福一原発に最も近く現在も4つのチャペルは閉鎖中です。
2年にわたり会津→米沢→奥多摩と流浪され、2013年いわき市泉町に鳥が翼を広げ故郷の方向を向いて舞い降りる形「翼の教会」として再開されました。
 牧師先生はじめ教会員皆さまの心温まる優しい笑顔とおもてなしに疲れも吹き飛び、公演そして私共のために祈り備えてくださっていたのが伝わってきました。
「教会ちょっとカフェ」催しのなかで朗読、その後は牧師先生、教会員、ドイツ人宣教師、地域の方々と楽しいお交わり、そして佐藤彰先生より「翼の教会堂エピソード付案内」をしていただき、さらに流浪の教会の歴史ビデオも鑑賞させていただきました。
頬を濡らさずには見ることのできない内容でしたが、辛い苦しみのなかに素晴らしい主にある人々の出会いがあり喜びがある、暗闇のなかに散りばめられたダイヤモンドのようにキラキラと光る希望の線路があるからこそ生きていけるのだと感動いたしました。
最後に佐藤彰牧師の言葉を紹介します。
「牧師家族と教会員メンバーとの流浪中、何度も解散を考えました。その時すばらしい人たちとの出会いがあり神様に守られました。ですから、与えられた翼の教会をいわき市の地域の皆さんに思い存分使ってもらいたいのです」
神と人に仕える、その謙虚な姿勢に胸を打たれました。
7/11-14と四日間にわたる東北公演での出会いから、沢山の励ましと力を受けて、足取り軽く帰路に着きました。
 「志ありて」のテーマ神と共に生きるものはなんと幸いでしょう。
全てのことを導かれた神様に栄光を帰し「志ありて」公演を通してご来場くださったおひとりおひとりに神様のお恵みと祝福が豊かにありますように。
そして東北復興が速やかに成され、それぞれの教会がますます聖く尊く用いられますようにお祈りいたします。
このたびの報告は皆様のお祈りに覚えていただきたいと詳細に記しました。
お祈りとご支援に心から感謝申し上げます。



   

 
   



店舗写真

 山本覚馬(写真左)と新島襄・八重夫妻







宮城石巻仮設 追波川仮設住宅




店舗情報東松島アメイジング・グレイス支援センター



白水のぞみ保育園前 放射線量計測器



白水のぞみ保育園



白水のぞみ保育園の手作り



福島楢葉町仮設 上荒川仮設住宅



福島第一聖書バプテスト教会泉のチャペル

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